2020年01月29日
中国・アジア
主任研究員
武重 直人
「貿易戦争」とも称される米中通商交渉で、ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表と渡り合い、中国側の代表としてタフネゴシエーターぶりを発揮しているのが、劉鶴・国務院副総理(=副首相)だ。彼は単なる「中国政府の使者」ではない。今や、この人物こそが中国の経済政策を方向付けているキーパーソンである。
劉鶴副首相
(出所)中国政府
劉鶴氏の略歴
(出所)各種報道を基に作成
劉氏はリーマン・ショックが発生した2008年頃から習近平国家主席(当時国家副主席)の経済ブレーンを務め、2018年に現在の国務院副総理に昇格した。その経歴から読み取れる特徴としては、①米ハーバード大学公共政策大学院で学んだエリート官僚②習氏と同じく、共産党幹部の子弟が通う北京101中学(日本の中学・高校に相当)で学び、党との一体感が強い「紅二代」③文化大革命期に知識青年として「下放」(=農村労働に従事)し、毛沢東思想の洗礼を強く受けた世代―などが挙げられる。
言い換えれば、米国の資本主義社会に精通する一方で、共産党や社会主義思想にも深くコミットする人物像が浮かび上がる。また、北京101中学では習氏と同級であり、文化大革命期の過酷な経験も共有する。このため二人には強い連帯意識があり、固い絆で結ばれているとみてよいだろう。
中国では国家主席が政治を、首相は経済を担当するのが慣例だ。しかし現政権では、経済政策について李克強首相ではなく習氏が主導権を握り、両者の間で確執が続いているとされる。
それが表面化したのが、中国共産党機関紙「人民日報」紙上で起きた匿名論争だ。2015~2016年頃、「権威人士」と「郭同欣」という匿名の識者が論争を繰り広げたのである。
権威人士は李氏らの経済認識や政策を批判。これに対し、郭同欣が反論を展開する異例の事態となった。中国メディアの多くは、劉氏こそが権威人士の正体だとみる。主張が近いことに加え、首相さえも批判できる立場にあるのは、習氏の後ろ盾を持つ彼以外にいないと判断するからだ。
では李氏と劉氏の経済政策には、どのような違いがあるのか。大まかに指摘すると、李氏が民間企業の自主的な発展を重視するのに対し、劉氏は党の指令が行き渡る国有企業の発展を重視するのである。
例えば現政権が掲げる「国有企業改革」も、李氏にとっては「欧米型企業システムの導入」が主体になるが、劉氏には国有企業の規模拡大や収益力向上、そして党の指導強化を意味する。彼が志向するのは、民間にも党のコントロールが行き渡る国家資本主義の実現なのだ。
こうした劉氏の哲学は、彼が関与したであろう共産党の重要文書にもにじみ出ている。習氏が党総書記2期目を迎える直前の2017年10月の政治活動報告には、「国家資本の強大化、優良化をはかる」と明記され、2019年10月の党の重要会議(=四中全会)コミュニケには「国有経済の競争力、イノベーション力、支配力、影響力、リスク抵抗力を増強し、国有資本を強大にする」といった文言が盛り込まれた。劉氏自身も「(雇用について)国有企業がもっと責任を負うべきだ」(2018年1月の米経済界代表との会談)といった発言をしている。
実際、現政権下では国有企業の強化を狙った大型合併が次々に進められている。加えて、民間大企業の不正を摘発し、これを政府管轄下に置く動きもある。例えば、政府は保険大手の安邦保険集団が詐欺的な手法で資金集めをしたとして創業者を起訴、2018年2月に同社を政府管轄下に置いた。ほかにも、党から目を付けられている大企業は投資グループの復星集団や海航集団など少なくないとされる。
有力な民間企業を政府の傘下に置く動きは、最近の経済成長の停滞によって加速している。多くの民間企業は自社株を担保に借金をしており、景気悪化に伴う株価下落で資金繰りが悪化。その結果、国有企業や金融機関に株式の売却を余儀なくされるケースが多発しているのだ。
成長停滞が長引くほど、国有企業や地方政府が「支援」の名の下に民間企業を吸収し、傘下に組み込む機会が広がる。うがった見方をすれば、劉氏は景気悪化さえも利用し、企業の「国有化」を強引に進めようとしている可能性もある。
実は、1949年の中華人民共和国の建国直後に共産党内で共有されていた認識は、「私企業は長期にわたって存続し、国有・公有企業と共存する」というものであり、「新民主主義路線」と呼ばれた。当時、朝鮮戦争に伴う特需や土地改革による農民の購買力向上といった好条件が重なり、私企業が次々に立ち上がり発展した。
ところが、企業の国有化が急速に進んでいく。まず、政府は建国前に政府有力者が設立した財閥企業を国有化。毛沢東が主導した1951年からの大規模な反腐敗運動(=三反・五反運動)の中で、汚職官僚と関係した私企業を摘発すると同時に、社内に党組織を作らせていく。
さらに経済政策の社会主義化が一層強まり、1956年までに私企業はほぼ消滅した。資本家は出資金に対する利子を一定期間受け取っただけで、企業に対する支配権を完全に喪失した。現在のように私企業が復活したのは、鄧小平が主導した1978年の「改革開放」以降のことだ。
もちろん、足元では当時ほど急激な変化はみられない。ただし、企業の国有化などの方向性は共通する。実際、中国メディアは国有企業の躍進と、民間企業の衰退を意味する「国進民退」という言葉を頻繁に使うようになった。
こうした歴史を踏まえると、米中交渉が難航するのはある意味で必然といえる。国有企業への優遇政策を止めさせたい米国の思惑に逆らい、中国経済を導く劉氏が対米交渉の先頭に立っているからだ。例えば、米国は中国に対して国有企業への補助金削減を要求している。しかし、国家による企業への統制を強めたい劉氏からすれば、飲めない要求になる。だから交渉過程で、彼が「原則問題では絶対に譲歩しない」と盛んに繰り返すのもうなずける。
もちろん、劉氏の路線が成功するかどうかは分からない。国有企業の市場独占などがもたらす効率性低下が、2019年に6.1%まで低下した中国の経済成長率を一段と停滞させる可能性もあるからだ。
ただし、劉氏は仮に経済がさらに減速したとしても、米国に責任を転嫁できると考えているのかもしれない。いずれにせよ、彼の在任中に中国が路線を変更する可能性は低い。それを示すのが2020年1月15日の米中協議の部分合意だ。中国は当面の危機回避のため米国からの輸入拡大などの部分合意に応じたものの、中国政府による産業補助金など本質的な問題は先送りにされたままだ。
逆に米中摩擦がそのまま長期化する確率は高く、仮にトランプ大統領が2020年大統領選で敗れて民主党が政権を奪還しても、米中間で火種はくすぶり続けるのではないか。
武重 直人